会長挨拶
日本放射光学会会長
足立伸一
日本の放射光60周年の記念すべき年に日本放射光学会長を拝命することになり、身の引き締まる思いです。2023年10月より2年間、放射光学の発展のために、微力ながら学会長の責務を果たして参ります。よろしくお願いいたします。
過去の会長挨拶を読ませていただいたところ、会長就任にあたり歴代会長の先生方は、放射光学会を取り巻く現状と課題の分析、今後学会として戦略的に取り組むべき事項などを取り上げておられます。私の挨拶もその形式に従おうかとも思いましたが、折角の日本の放射光60周年の機会でもありますので、それにちなんだエピソードを紹介させていただくことで、私の会長就任のご挨拶に替えさせていただこうと思います。
ご存知の通り、日本の放射光利用研究の歴史は1960年代に遡ります。1961年に我が国初の高エネルギー加速器として、東京都田無市(現在の西東京市)の東京大学原子核研究所(以下、核研またはINS)で750MeV(後に1.2GeV)の電子シンクロトロンの運転が開始されました。この核研電子シンクロトロンに、放射光の取り出し口を設置し、高エネルギー物理実験に「寄生」する形で、日本初の放射光実験が始まったのが1963年のことです。同時に1963年には、「INS-SOR」という放射光研究グループが設立されています。
私事で恐縮ですが、私は2003年の夏に理研/SPring-8からKEKの物質構造科学研究所・物質科学第二研究系(現在の放射光科学第二研究系)へと異動しました。KEKに着任して間もない頃、同じ物構研のとある先生が居室を訪問してくださり、「あなたが今後も放射光分野で仕事を続けていくなら、ぜひこれを読むことをお勧めします。」と言って渡してくださったのが、固体物理という雑誌に掲載された、佐々木泰三先生による「日本と世界の放射光研究−回顧と展望−(Ⅰ)、(Ⅱ)」1,2)でした。佐々木先生はこの文献の中で、佐々木先生独特の愛と諧謔に満ちた文体で、20世紀前半の放射光発生の理論的研究の発展から説き始め、1960年代のINS-SOR の活動、DESYでの研究、SOR-RINGの建設、そして今後の展望について語られています。その中には、INS-SOR での放射光実験が始まった当時の国内外の放射光利用研究の状況や、当時の最先端の装置開発と分光研究に当事者として取り組まれた苦労と喜びが克明に記されており、興味深いエピソードが満載です。なかでも特に印象深いのは、「日本の放射光研究についてもう一つ強調しておきたいのは、これが欧米で先行し、成熟した方法や実験技術を導入して日本が追随するというよくある経緯を辿らなかった、ということである。」で始まる一節です。「もちろん前述のように1960年代に同じことを考えていた人々は世界中にたくさんいたのであって、アイディアが日本だけのものというわけではない。が少なくとも、多少の前後はあったにしても日本は日本のオリジナルでスタートを切ったのであって、放射光利用研究のパイオニアとしての功績の一部を日本が分けもっていることは間違いない。」という一節には、世界の放射光研究を日本のコミュニティが率先して牽引してきたという強烈な矜持が伝わってきます。この佐々木先生の文献1,2)をまだお読みになっていない会員の方には、ぜひご一読されることをお勧めします。(ただし、電子ファイルでの配布は無さそうです。大学図書館等での閲覧・複写が必要かと思います。)
さて翻って、1960年代から約60年の年月を経た現在、日本の放射光コミュニティは、諸先輩方の輝かしい功績を引き継いで、世界の放射光利用研究のトップランナーたり得ているでしょうか。言うまでもなくこの60年の間に、放射光は基礎研究のための強力なツールであるのはもちろんのこと、応用研究、産業利用研究に至るまで、極めて広範な研究開発のためのツールとなりました。世界の放射光コミュニティの中では、全ての放射光研究分野において日本の研究コミュニティがトップランナーであり続けるというのは不可能ですし、世界各国の放射光施設が鎬を削る中で、日本の立ち位置が相対的に低下していることも感じます。しかしながら、日本の放射光コミュニティにおいても世界的に見て非常に高いレベルの研究開発も数多く行われており、その一方で日本から世界へのアピールが不足していることも感じます。海外の研究者からは、日本の外から見ると日本からの情報発信が乏しく、日本の放射光研究がほとんど見えないというご指摘をいただいたこともあります。私の任期の2年間では、これまでの学会の取り組みを継承しつつ、日本発のオリジナルな放射光研究の分野開拓を学会として牽引すると同時に、世界における日本の放射光科学のビジビリティ向上に資する活動にも積極的に取り組みたいと考えています。会員の皆様のご理解とご支援をよろしくお願いいたします。
1) 佐々木泰三:固体物理 22, 1007 (1987).
2) 佐々木泰三:固体物理 23, 142 (1988).